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名古屋高等裁判所 昭和49年(う)480号 判決 1975年3月20日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、検察官作成の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、ここにこれを引用する。

所論は、要するに、原判決は、被告人に対する本件収賄の公訴事実(昭和四一年一二月一一日ごろ、愛知県碧南市字籠田七三番地の被告人方居宅において、伊藤進から現金一〇〇万円の供与を受けた点が収賄とされている事実)につき、昭和四一年一二月一〇日には伊藤進に、同月一一日には被告人に、同月一二日には被告人及び伊藤進に、同月一三日には被告人にそれぞれアリバイがあるので、被告人が昭和四一年一二月一一日ごろ被告人自宅で伊藤進から現金一〇〇万円の供与を受けたことに関する同人の証言ないし供述は、全く信用できず、これを証拠となしえないし、他にこの点に関する確たる証拠は何も存しない、との理由により無罪の判示をした。しかしながら、当審で訴因変更を求めるとおり、本件公訴事実記載の現金一〇〇万円が授受された日時は、昭和四一年一二月一五日であり、その場所は、愛知県安城市朝日町一二番三号料理店「東雲」こと神谷巴方である。この事実は、原判決後新たに発見された手帳(昭和四一年足立弌弥記帳のもの)等により明らかであるが、他方、原審で取り調べた足立弌弥の司法警察員に対する昭和四三年二月一六日付供述調書において、同人は右現金授受の日は「昭和四一年一二月一五日ごろ」と述べており、日時の点で右手帳の記載とも符合し、これらの証拠は十分措信しうるものである。原判決は、被告人や伊藤進の昭和四一年一二月一〇日から一三日までの四日間の行動のみにとらわれて、本件の現金授受の日時が同年一二月一五日であることを疑わせるに足る前記足立弌弥の司法警察員に対する供述があるのにかかわらず、さらに真相を追究しようとせず、本件につき無罪の言渡しをした原判決には、審理不尽に基づく事実誤認があり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

よって、案ずるに、まず、論旨に対する判断の前提である訴因変更の適否につき考察する。

検察官は、当審において、公訴事実の記載中、収賄の日時「昭和四一年一二月一一日ごろ」を「昭和四一年一二月一五日」に、その場所「愛知県碧南市字籠田七三番地の被告人方居宅」を「同県安城市朝日町一二番三号料理店「東雲」こと神谷巴方」にそれぞれ訴因の変更を求めるものであるところ、右変更請求前と後の訴因を比較してみると、犯罪の日時において数日の違いがあるのみならず、その場所においては、同一県内とはいえ、行政区画である市を異にし、しかも、被告人方居宅から第三者の経営する料理店に変更を求める点で全く場所的状況を異にするものであることが明らかである。しかして、本件のごとき事案の性質から考えても、金員授受の場所的状況の認識は比較的容易であり、かつ記憶も概して鮮明であるのが通常と思われる点をも考慮すると、前記訴因変更請求前と後の両事実は、社会通念に照らし、基本的事実関係を異にするものとみるのが相当であり、公訴事実の同一性を否定すべきである。

そうとすれば、右の訴因変更は許されないものといわねばならない。

ところで、検察官の所論は、右の訴因変更が許されることを当然の前提として、審理不尽に基づく事実誤認を主張するものであるが、前説示のとおり、右訴因変更は、公訴事実の同一性がなく、許容されるに由ないものである以上、論旨は、それ自体前提を欠くことに帰し、理由のないことが明らかというべきである。

そして、記録を調査し、証拠を検討するに、結局、原判決が、本件公訴事実につき、その証明がないとして、無罪を言い渡した認定、判断は相当であって、原判決には、何ら違法、不当のかどは見出しえない。

よって、刑訴法三九六条に則り、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小淵連 裁判官 伊澤行夫 横山義夫)

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